坐禅の気持ち良さ

 

坐禅をしていると、

自我がとけてなくなります♪


「我」はノコギリの意味からきているのだそうです。

トゲトゲしい感じもしますし、

確かに我を通せば和を途切れさせてしまいますね。


「私」がほどけて「仏」になる。

これは自分の心体がとけていくような、

とても不思議な感覚です。


考えてみれば、生まれた時は神様の子と呼ばれました。


そして人間として生きていく中で「私」が形成され、

色々な価値観を身につけます。


ですが、その頼りにしているはずの価値観も、

状況や立場の変化ともに変わっていくものです。


目の前に登り坂があっても、

下りる人からしたら下り坂。


正しいと信じることも、

そう思っているのは自分だけで、

他の目線から見れば違った正しさにもなります。


実は「価値観」や「私」というのは、

とても頼りなくて実在がないようなものです。


それを仏教では「空」とよく言われます。


赤ちゃんから子供⇒青年⇒壮年⇒老年となるにつれて

仏から始まり仏に向かって行く過程であり、

最後は文字通り「仏」となる。


これは、自分の価値観を全て捨てきった状態です。

坐禅をしている内に「私」がほどけて「仏」となるのは

ある意味「擬死体験」です。


カエルが水に入れた状態から湯になるにつれ茹であがっていくように、

徐々に死に向かう感覚。


一般に死は恐怖心がつきものですが、

この擬死体験はとても気持ちの良いものです。


坐禅で無の境地に入るなどありますが、

たぶんこんな感じなんじゃないでしょうか。


掃除は掃いても掃いてもキリがないのと同じように、

煩悩も、毎日湧いてキリがない。

キリがないことの繰り返しだからこそ、

キレイにする気持ちよさを何度も味わうことができる。



それで良いのだと思います♪